赤味噌

名古屋独特の調味料として「味噌」はあまりにも有名です。

八丁味噌で知られている豆味噌で、俗に「赤味噌」と呼ばれるものですが、名古屋の人はこの味噌を愛してやみません。愛し過ぎて、名古屋の街では昼夜を問わず、この味噌の香りがどこからともなくただよってくるほどです。

名古屋では、この味噌でつくった味噌汁を飲み、味噌ダレをソースの変わりにとんかつにかけたり、おでんにかけたりして食しています。

この八丁味噌、その昔、徳川家康が岡崎城からおよそ八丁(約870m)離れた当時の八丁村で主に作られていたため、この名が付けられたとのことですが、大豆100%のため豆臭いのですが、とても健康には良いのです。

ここで、参考までに、味噌料理のバリエーションをいくつか挙げておきます。

味噌おでん・・・・・・からしの替わりに味噌ダレをつけて食べます。名古屋のおでんはこちらの味噌ダレが主流。

どて煮・・・・・・豚のモツを味噌で煮たもの。名古屋の屋台料理の代表格。

味噌田楽・・・・・・豆腐に竹串をさして焼いたものに、味噌ダレをかけてたべる。まさに豆ずくし。

味噌もんじゃ・・・・・・もんじゃ焼きに味噌をまぜたもの。独特のコクがでる。

りんご

名古屋はコネ社会

名古屋では特にこの「コネ」がことのほか重要になってきます。

ネイティブな名古屋人はなかなか地元を離れません。すると、当然周りは昔からの知り合いばかりで固められてしまいます。これは、他の都市ではまずみられない特徴だとか。

名古屋で知人の話などしていると、「ああ、そいつ知っとるて」とか、「○○さんか、その人はツレ(友人)の先輩だわ」などと言った言葉をよく聞きます。名古屋は都会のわりに、知り合いにあたる確立が異常に高いのです。

こんな土地柄なので、普段の生活のほとんどが「コネ」で動いてしまいます。

クルマを買う時、家を建てる時、就・転職、仕事で新たに取引を開始したい時・・・・・・。ほぼすべてです。

これもよく考えれば非常に合理的で無駄がありません。

知り合いの紹介なら騙される確立は低くなりますし、気心が知れた人が間に入ってくれれば初対面でも意思の疎通がしやすくなります。また、知り合いの紹介があれば、宣伝広告なども最小限ですみますから、その分、お値打ちに提供できるのです。

こんな風ですから、他府県から名古屋に進出を目論む企業やビジネスマンにとっては、非常にやりにくく感じるのでしょう。ただ、そこを乗り越えて一度なじんでしまえば、多少のことは多めに見てもらえますし、そう飛びぬけて優れていなくてもそれなりに良い思いができるのですから、これほど楽に生活できる地域もあまり無いと思われます。

逆に、名古屋から他府県に進出しようとした場合はこの逆になるため、名古屋の人の輪の中で甘やかされた人間は、「生き馬の目を抜く」競争社会でコテンパンにやられて名古屋の地に舞い戻ってくることになるのです。

ですから、名古屋人には、名古屋である程度の地位にいても、それは「名古屋だから」という謙虚な気持ちを忘れないでいて欲しいものです。

りんご

名古屋では地味目で

名古屋の人は目立つ事があまり好きではありません。

地味で目立たず、自分の意見もあまりはっきり言わない。名古屋の人は宣伝や自己アピールが苦手なのです。

名古屋は排他的な街だと言われていて、外部の人間に対してはとても冷たい接し方をするのですが、反面、地元の人同士は非常に固い絆で結ばれています。

そのような場所では、お互い気心がしれているため、相手が何を考えているのか手に取るようにわかってしまい、あえてそこで手を挙げてアピールするのは不自然ですし、あまり強く個を出すと、集団の和が乱れてしまうため、周りの空気を読みながら同調するしかないのです。

このような土地柄なので、そのような名古屋人的な気質が形成されてしまうのでしょう。

要するに、名古屋は田舎なのです。

東京や大阪などから転勤や転校などで移住して来る人などは、はっきり言って真逆な性格なので、名古屋の社会からは浮いてしまうことも多いようです。そのような人から見れば、名古屋はなんてつまらない街だと思うかもしれません。

いちごばなな
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名古屋の人はお年寄りを大切にする

全国の都市と比較して、名古屋ほどお年寄りを大切にする地域はありません。

一頃、きんさん・ぎんさんがマスコミによく取り上げられていましたが、あのお二方の満ち足りた笑顔はなんとも忘れがたく、また、一緒に登場する家族の方も、普段からお年寄りを大切にしているのだなあと思わせる雰囲気を漂わせていました。この光景は、昔の日本では良く見られた光景でしょう。

昔は、親子3世代、一つ屋根の下で一緒に暮らすのが当たり前の時代で、地域によっては一族がかたまって住んでいるなどといった場所もめずらしくなかったようです。しかし、戦後、そのような社会に変化が生まれ、人は皆、物理的な豊かさや便利さを求めて都会を目指し、地元に残る一族や家族との離別がおこりました。そして、都会に移り住んだ家族の子供達はそこが地元になり定住する、そういった流れが定着したのです。

都会の住宅事情は厳しく、大家族が住める大きな家など望めません。必然的に小さな核家族単位での生活があたりまえ。そんな中で、老人などの弱者は家族から邪魔者扱いされるようになり、団地に別居させられるか施設などに放り込まれる事になってしまいます。このように、家族がお年寄りを大切にしなくなった社会では、行政による援助が望まれるようになり、そのような地域では高齢者福祉が充実することになりました。

では、名古屋はどうでしょう。

名古屋では、行政が高齢者の福祉に投じる予算が全国的に見ても少なめなようです。この予算配分だけを見ると、「名古屋は老人には冷たい街だ」などと思いがちですが、前述の流れと対比させると、名古屋は地元意識が強く、まだまだ戦前のように家族が寄り添って暮らしている家庭がすくなくなりません。このように、家族が老人を大切にする土地柄では、行政があえてそのようなところに予算を使う必要があまり無いのだなと納得できてしまいます。

いちご
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試行錯誤

名古屋はクルマに代表されるように、モノづくりで発展してきた街です。ベンツよりもセルシオ、海外でもその技術力は認められています。

そんな環境の中で、名古屋の消費者は、モノを見る目を鍛えられてきました。名古屋では安易につくられたものは見向きもされません。名古屋の人は、モノづくりという事に関しては妥協を許さないのです。モノを見る目に関してはプライドをもっていますし、そのスタンスは「あら探し」であることは間違いありません。

絶えず「これが最適か」と自問自答する習慣があるため、他者に対してもそのスタンスは崩れません。

これが海外の企業などからは異質な考え方と思われているようで、この壁にぶち当たった海外企業は頭を抱えるようですが、この精神があるからこそ、今日の日本があると言っても過言ではないでしょう。

異質なモノを組み合わせる。今あるモノについても、もっと改良できないかと試行錯誤する。そして、妥協を許さず、望む結果がでるまで努力する。これこそ日本人――名古屋人の得意とするところだと思います。

ただ、それはそれで良いでしょうし、実際に、凄いモノがつくられているのですが、どうしても何か物足りなさを感じてしまうのです。

よくよく考えた末に思ったのは、「しょせん、一番最初にタネとなるモノありき」だということです。

とりあえず誰かが作ったモノを評価し、それを改良しようとするため、最初の創造が無いのです。「困ったを無くしたい」→「こうしたらどうだろう、ああしたらどうだろうという試行錯誤」→「最初の形ができあがる」この部分が無いのです。

そこをすっとばして、とりあえずあるものを評価、改良して本家を超えるというのは、創造主にしてみれば「こっすい行為」以外の何者でもないでしょう。

そして、それは「失敗」を認めないという風土をはぐくみ、「他人より凄いものがつくれる」といったおごりを生むという悪循環を形成しているような気がしてなりません。

最初の創造はものすごいパワーを必要とします。そのパワーの原動力は、「困っている人を助けたい」や「困った状況を乗りきりたい」でしょうが、その生みの苦しみを味わってこそ、本物になるのでは無いかと思ってやまないのです。


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